渡部昇一

 しかし将軍義政はそれにもかかわらず、その八月二十五日には斯波義敏を三国の守護に任命するのだ。三国の守護職で命あり管領家でもある武衛氏の相続者が、女の口ぞえでくるくる変わるのだからひどいものである。  ところがそれからわずか十日も経つや経たずやの九月初旬、伊勢貞親は「足利義視が期波義廉に味方していますよ」と将軍義政に議言した。これを聞いた将軍義政はその議言を信じ、足利義視を殺そうとした。義視は将軍義政の弟であり、後継者とするために還俗させられていた人間である。そういう重要人物をすぐ殺す気になるのだから将軍義政も軽率だが、それだけ伊勢貞親の言葉は将軍義政に信用されていたことを示す。  義視は身の危険を知るや細川勝元のところにかけこんだ。「こうした騒動が起こるのも、ひとえに伊勢貞親が怪しからんことを言うからだ」と諸将は連署した文書を将軍義政に出して、伊勢貞親を殺するよう請願した。危険がかえって自分の身に及びそうだと悟った伊勢貞親は近江に逃げ、斯波義敏は越前に落ち、僧季増真薬もいずこにか遊走した。それで将軍義政はこの約十日後に、斯波義廉を越前、尾張、遠江三国の守護に再び任命した。